こんにちは、トッキーパパです。
私は看護学校の教員として赴任してすぐ、あることに違和感を覚えました。
それは学生たちがよく、
「親に怒られた」
「先生に怒られた」
と話すことです。
私は心の中で、こう思っていました。
「それって本当に“怒られた”のかな? “叱られた”んじゃないの?」
学生たちは「叱られる」と「怒られる」の違いを、あまり意識せずに使っているように感じました。
そして私は、それがとてももったいないことだと思ったのです。
なぜなら「叱る」という行為には、相手の成長を願う気持ちが含まれているからです。
もしそれをただ「怒られた」と受け取ってしまえば、叱ってくれた人の本当の想いが伝わらなくなってしまいます。
それ以来、私は新入生の入学ガイダンスで必ず
「叱る」と「怒る」の違いについて話すようになりました。


学生に伝えるようになった理由
実は私には、**「本気で叱れる大人になりたい」**と強く思うきっかけになった出来事があります。
それは、私の子どもが4〜5歳の頃のことでした。
子どもと二人きりの夜に起きたこと
その日は妻が夜勤で不在で、私と子どもだけで夜を過ごしていました。
そんな中、子どもが何か悪さをしたのです。
何をしたのか細かいことは覚えていませんが、私は本気で注意をしました。
そして注意したあと、私はこう言いました。
「今夜は一緒に寝ないよ」
当時の子どもはとても怖がりで、寂しがり屋でした。
一人で寝ることができない子だったので、「一人で寝なさい」というのは子どもにとってかなり厳しい罰だったと思います。
私は正直、こう思っていました。
「きっと泣いて謝ってくるだろう」
「結局は一緒に寝ることになるだろう」
ところが、子どもは涙を浮かべながらもこう言ったのです。
「うん、わかった」
そして一人でトボトボと別の部屋へ行き、寝る準備を始めました。

そっと覗いた部屋で見た光景
時間が経つにつれて、私は子どものことが気になって仕方がなくなりました。
そっと部屋を覗いてみると、そこには驚く光景がありました。
子どもは自分で布団を敷き、小さな体で丸くなって眠っていたのです。
その寝顔を見た瞬間、胸が締め付けられるような気持ちになりました。 いつもは怖がって一人では寝られない子が、必死に我慢していたのです。

翌朝、子どもが言った一言
翌朝、目が覚めた子どもは真っ先に私のところに来て、こう言いました。
「お父さんおはよう。昨日はごめんなさい」
その言葉を聞いた瞬間、私は子どもがたまらなく愛おしく思えました。
そして私は、心から感じたのです。
**「叱るとは、こういうことなのだ」**と。
「叱る」という行為は、叱る側もつらい
叱るというのは、相手の成長を心から願い、本気で向き合うことです。
しかし、それは叱られる側だけでなく、叱る側にも大きな負担が伴います。
「本当に伝わったのだろうか」
「言い方は間違っていなかっただろうか」
「傷つけすぎていないだろうか」
私自身、その夜も子どものことが気になって仕方がありませんでした。
けれど、翌朝の「ごめんなさい」という言葉に救われました。 そのとき私は決めたのです。
これからは、本気で叱れる大人になろう。
そして、**自分を叱ってくれる人には心から感謝しよう。**と。
教員として学生を叱った日々
教員として働く中で、私は学生に対して叱ることもありました。
叱ったあとには必ず悩みます。
「私の想いは伝わっただろうか」
「もっと良い伝え方があったのではないか」
そして叱った学生のその後が、気になって仕方がありません。
しかし、叱ったあとでも学生が元気に挨拶をしてくれたり、
卒業時にこう言ってくれたりすると、本当に救われます。
「あのとき先生に言われたことは身に染みました。
今でも心に残っています。」
その言葉を聞くたびに、
「教員をやっていて良かった」と心から思うのです。

「叱ること」は育児にも教育にも必要
相手の成長を願って叱ることは、育児にも教育にも必要なことだと思います。
育児中の皆様、看護管理職の皆様。
ぜひ「叱る」という行為を意識してみてください。
怒りそうになったときの自分への問いかけ
もし声を荒げそうになったときは、一度だけ自分に問いかけてみてください。
「これは自分のイライラを解消したいだけなのか?」
「それとも相手の成長のために伝えたいのか?」
この問いを挟むだけで、
「怒る」ことは減り、「叱る」ことが増えていくはずです。それは、あなたの言葉を、「刃(やいば)ではなく「ギフト」に変えてくれるはずです。
叱ることは簡単ではありません。
むしろ、とても苦しく、怖いことです。
それでも、相手の未来を願って伝える言葉は、
きっといつか相手の心に残ると私は信じています。
叱ることは、相手を否定することではなく、未来を信じて伝える愛情なのだと思います。
