「看護師1年目、同級生の父の死に私は何もできなかった」 続報

  • 2025年8月4日
  • 2025年8月24日
  • 看護
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皆さんこんにちは、トッキーパパです。

今回は、前回の投稿「看護師1年目、同級生の父の死に私は何もできなかった」の続編としてお話しします。

ある日、1年目の後輩看護師(仮にAさんとします)が、急変事例に直面しました。

患者さんは来院時、胸背部の痛みを訴えていましたが、会話はできていました。Aさんは先輩看護師と一緒に受け持ち、処置の準備をしていたその時、処置室に響く「ピピピッ」という心拍モニターの鋭いアラーム音。

振り返った瞬間、患者さんは意識を失い、心肺停止状態に。一瞬で空気が張りつめ、周囲が慌ただしく動き出します。
「胸骨圧迫入ります!」「バックマスク準備!」と先輩たちの声が飛び交う中、Aさんはただ目の前の光景を見つめ、体が固まっていました。

しかし、残念ながら蘇生の効果はなく、ご家族を処置室に招き入れ、死亡診断が行われました。

Aさんは、あまりにも急な展開に対応しきれず、呆然と立ち尽くしていました。入室してきたご家族の横で、涙をこぼしながらただ立っている姿が印象的でした。

勤務終了後、事例の振り返りが行われました。

Aさんは、「何もできなかった自分は看護師として失格だ」と肩を落としていました。涙を見せたことも、自分の弱さだと感じているようでした。

その姿に、私は自分の1年目の頃を思い出しました。
「看護師だからこうしなければならない」「こうあるべき」という思い込みに、私自身も縛られていた時期です。

そこで、私はAさんに静かに問いかけました。
「Aさん本当に看護師失格なのかな? 本当に何もできていなかったのかな?」

Aさんは下を向いたまま、答えません。

私は続けて尋ねました。
「もしあなたがご家族の立場だったら、テキパキ動く看護師と、隣で一緒に泣いてくれる看護師、どちらがいいと思う?」

そしてこう伝えました。

「確かにテキパキ動ける看護師は頼もしい。でも、家族の悲しみやつらさに寄り添って、一緒に涙を流せる看護師も、とても素晴らしいと思う。寄り添うことは立派な看護だよ。」

Aさんは涙ぐみながら、「ありがとうございます。」と答えてくれました。

私は、看護師だからといって感情を押し殺す必要はないと思っています。
経験を積めば、処置や判断は自然と身についていきます。それは“作業”の部分です。 しかし看護の本質は、患者さんや家族の感情を受け止め、自分自身の感情も大切にしながら関わることだと思います。

Aさんには、これからテキパキ動けるようになっても、自分の感情を大切にする看護師でいてほしい。
そう強く願っています。