はじめに──前回の投稿の続編として
皆さんこんにちは、トッキーパパです。
今回は、前回の投稿「看護師1年目、同級生の父の死に私は何もできなかった」の続編としてお話しします。
急変が訪れた瞬間
ある日、1年目の後輩看護師(仮にAさんとします)が急変事例に直面しました。
患者さんは来院時、胸背部の痛みを訴えていましたが、会話はできていました。Aさんは先輩と一緒に受け持ち、処置の準備を進めていました。 その時、処置室に響く「ピピピッ」という心拍モニターの鋭いアラーム音。
振り返った瞬間、患者さんは意識を失い、心肺停止状態に。
一気に空気が張りつめ、周囲のスタッフが慌ただしく動き出します。

Aさんが立ち尽くした理由
「胸骨圧迫入ります!」「バッグマスク準備!」
先輩たちの声が飛び交う中、Aさんは目の前の光景に圧倒され、体が固まってしまいました。
残念ながら蘇生の効果はなく、ご家族を処置室に招き入れ、死亡診断が行われました。 その時のAさんは、急すぎる展開に対応できず、ただ呆然と立ち尽くしていました。
入室してきたご家族の横で、涙をこぼしながら立っている姿が、とても印象的でした。
事例の振り返り──「看護師失格」と肩を落とすAさん
勤務終了後に行われた振り返りの場で、
Aさんは「何もできなかった自分は看護師として失格だ」と涙ながらに話しました。
涙を見せた自分自身のことも、“弱さ”だと捉えているようでした。
その姿は、まさに私自身の1年目を思い出させました。
「看護師だからこうあるべき」「こうしなければならない」という思い込みに縛られていた時期です。

私がAさんに問いかけたこと
私はAさんに静かに問いかけました。
「本当に看護師失格なのかな? 本当に何もできていなかったのかな?」
Aさんは下を向いたまま答えられません。
私は続けて尋ねました。
「もしあなたがご家族の立場だったら、テキパキ動く看護師と、隣で一緒に泣いてくれる看護師、どちらがいいと思う?」
Aさんは驚いた表情で私を見つめました。
看護の本質とは何か?
私は続けて伝えました。
「確かにテキパキ動ける看護師は頼もしい。でも、家族の悲しみやつらさに寄り添って、一緒に涙を流せる看護師も素晴らしい。寄り添うことは立派な看護だよ。」
Aさんは涙ぐみながら、「ありがとうございます」と答えてくれました。
私は、看護師だからといって、感情を押し殺す必要はないと思っています。
経験を積めば、処置や判断は自然と身についていきます。それは“作業”の部分です。
しかし看護の本質は、患者さんや家族の感情を受け止め、そして自分自身の感情も大切にしながら関わることだと、私は強く感じています。
Aさんへ、そして新人看護師へ届けたいこと
Aさんには、これからテキパキ動ける看護師になっていくでしょう。
しかし同時に、自分の感情を大切にできる看護師でいてほしいと思います。
感情は弱さではありません。
寄り添えることは、看護師としての大きな力です。
読んでくださっているあなたも、どうかその優しさを大切にしてください。
