看護師として伝えたいことがあります
こんにちは、トッキーパパです。
私はこれまで、救命救急センターや看護学校で勤務し、看護管理者としても現場に立ってきました。
このブログでは、私が経験してきたことをもとに、今、臨床現場で悩みながら頑張っている若い看護師や、看護学生の皆さんに役立つ気づきをお届けしたいと思っています。
救命救急での出会い:あの日の朝、運ばれてきたのは…
私が看護師1年目のときの出来事です。
その日、朝方の時間帯に、50代の男性が農作業中に倒れ、心肺停止状態で救急外来に搬送されてきました。

その患者さんの娘さんは、なんと私の高校時代の同級生でした。
懸命な処置が行われましたが、残念ながら蘇生することはできず、死亡が確認されました。
声をかける勇気がなかった自分
その後、ご家族への説明や死亡処置、出棺まで一連の対応が続きました。
しかし、私は彼女——同級生だった娘さんに声をかけることができませんでした。出棺の場にも立ち会えず、結局、何もできないままその場を去ってしまいました。
看護師として、そして一人の人間として、何かすべきだという思いはありましたが、どう声をかければよいのか分かりませんでした。
目を合わせることもできず、ただ逃げるようにその場を離れた自分がいました。
「涙を見せるな」――先輩からの教え
当時、先輩看護師からはこんなふうに教えられていました。
「看護師は感情を表に出してはいけない」
「悲しくても涙を見せず、テキパキ動けるのが良い看護師だ」
その言葉が頭の中に残り、私は「動揺してはいけない」「感情を見せてはいけない」と、自分の気持ちに蓋をしていたのかもしれません。
経験を積み、指導する立場になって
それから月日が流れ、私は後輩を指導する立場になりました。
ある日、1年目の看護師が受け持っていた患者が急変し、心肺停止となってしまうケースがありました。
来院時には意識があった患者さんでしたが、残念ながら蘇生できず、死亡が確認されました。
そのとき、後輩は涙をこらえながら対応していました。
私は、かつての自分の姿を彼女に重ねていました。
あのとき、自分はどうすればよかったのか?
私は今でも、1年目のあの日を思い出します。
もしあのとき、同級生に一言でもかけられていたら、何かが違っていたのではないかと。
「ただ、そばにいるだけでもよかったのではないか」
そんな思いが、今も私の中に残っています。
つづく:後輩にかけた一言に込めた想い
1年目で感じた後悔と葛藤は、指導する立場になった今、ようやく「伝えるべきこと」になってきました。
次回は、あのとき私が後輩にどんな言葉をかけたのか、そして何を学んだのかをお話ししたいと思います。
🪶あとがき(読者への問いかけ)
なたは、看護師として「声をかけられなかった」経験はありませんか?
それでも、あなたの存在は、患者さんやご家族にとって大きな支えになっているかもしれません。